その日23年前

その日23年前
地震の次の日、街からパンが無くなった。当時ウエスティンホテルのペストリーショップ担当だった。工場はフル稼働でパンを焼く。朝から「パンありますか?」の問い合わせの電話が鳴り続ける。「何でもいいから欲しい」「何時に焼けますか?」梅田のパン屋さんは行列の上お昼に完売と聞いた。ホテルは梅田から少し離れていたためすぐに無くなるということはなかった。でも3時位には完売。工場もそれ以上の追加はできなかった。ある物は全て、サンドイッチ用もレストランのパンも、従業員食堂用のパンもみんな無くなった。
そのあとでこられたお客様にはスタッフが自分用に買ったパンをお出しした。
中には泣いてお礼を言われるお客様も「ずっと歩いて探してたんです」

シェフが「宝塚に知り合いおるか?あっちも大変やぞ」次の日から毎日仕事が終わってから知り合いにパンを届けに行った。宝塚、伊丹、住吉、西宮…電車が通らない先にはバイクで、歩いて… 避難するほどではないけれど、家を空けられない、買い物どころではない、そんなところへ少しだけれど。
他の手伝いは何も出来なかった。

シュークリームなんかを笑いながら食べることができる幸せ
お菓子を作れるという事が実は当たり前じゃないという事
お菓子屋の果たすべき役目はこんなところにもあると思います

この記事を書いた人

久保 徹也